プロジェクト”REDLIGHT”は、異星人の技術を応用した航空機の開発、飛行実験を行うために設立されました。厳戒態勢が敷かれる実験施設は軍のミサイル実験場の半ば、ネバダ州のグルーム湖に建設され、コードネーム”DREAMLAND”で呼ばれました。
ここは海軍の監視下に置かれ、最高レベル”Q”の認証が必要でした。
皮肉なことに合衆国大統領でさえもこの”Q”の認証を有しておらず、この地域への立ち入りはできないことになります。
異星人との一般的な技術交換はS-4と呼ばれる地域で行われ、”The Dark Side of the Moon”と言うコードネームが付けられました。
陸軍はこのプロジェクトをサポートするために最高の訓練を受けた部隊”DELTA”をコロラド州のフォート・カーソンへ配備しました。
また、”SNOWBIRD”と呼ばれるプロジェクトも同時に進行されます。
これは、REDLIGHTによる実験で発生することが予想される、”民間人がテスト機を目撃”することを適当な理由をつけてうまくはぐらかすのが主な目的で、時として事実を隠ぺいするために飛行船や航空機の試作品らしきものをもっともらしく飛行させるようなことを行いました。
SNOWBIRDプロジェクトは実にうまく機能し、近年に至るまで政府に不都合な目撃情報を減らすことに成功しています。
こうした多数のプロジェクトを進行させるために、数百万ドルの裏資金がホワイトハウスの軍事機関によって捻出されていました。
また、この資金は地下施設の建設にも用いられ、有事の際に大統領の安全の確保するための施設であると説明されていますが、実際にはその中の幾つかが政府の機能を維持し、大統領の安全を確保するための施設です。
これらの巨額の資金は、軍事機関から”MJ-12”を通じ、異星人との共同地下施設建設に携わる業者へと流れ、同時に世間の目をごまかすための施設が”Alternative 2”として公表されました。
ジョンソン大統領はこの資金の一部を映画館と牧場の道路を舗装するのに使用しましたが、この資金の真の目的については想像もしていなかったようです。
ホワイトハウス地下の秘密施設建設のための費用は1957年、アイゼンハワー大統領が”有事の際のシェルター”として議会の承認を得たの始まりですが、実際にその施設は地下深くに建設され、地上の核爆発に耐えられるものでした。
実に75を超える地下施設が建設され、後に原子力委員会によって22にの追加施設が建設されています。
ホワイトハウスの地下施設を除き、他の施設の建設場所は安全上の理由から最高機密扱いとなっており、軍事機関より捻出される資金は巧妙かつ念入りに”洗濯”され、その筋に長けているスパイや会計士であっても完全に出所を把握するのは困難でした。
1980年の時点で、資金の流れのほんの一握りが判明するに過ぎません。
議会では彼を追放するために何か下準備をしていると言う噂もあります。
この一連のリストの最後尾には、合衆国大統領、MJ-12、軍最高司令官、海軍指揮官も含まれます。
この資金は、国防総省の予算委員会が割り当てた最高機密の陸軍施設建設費として承認されているにもかかわらず、陸軍では使用された実績がないばかりか何のための予算かも知らず、使用に当たっては海軍が実質上の権限を握っていました。
資金は海軍のチェサピーク海軍技術部門へと送られていましたが、部門内の誰もこの資金の行先については知りませんでした。
唯一、海軍の最高司令官はこの資金の行先を知っていましたが、その目的、金額、最後の受取人についてはホワイトハウスの軍事機関に属する限られた人間しか把握していませんでした。
実際に資金の流れを目にする者でさえ真の実態が分からないため、事実上この秘密資金はいかなる監査をも受けずに素通りすることになります。
もう一つ、この資金の一部からフロリダ州 ピーナッツ島の沿岸警備に属するパームビーチへ多額の金が送金されています。
このピーナッツ島は、ジョセフ・ケネディーが所有している土地と隣接しており、この資金は付近の景観を改善するために使用されたと説明されています。
少し前に、テレビのケネディー大統領暗殺に関するスペシャル番組の中で、沿岸警備隊員がブリーフケース(金が入っていたと思われます)をケネディー家の土地で従業員に渡していたと言う報道がありました。
この資金は、ケネディー家の失った息子(John F.Kennedy:1963年11月22日に暗殺されます)と何か関係があるのかも知れません。
この送金は1967年に至るまで続けられ、それ以降はピタリと止んでいます。
一方、ネルソン・ロックフェラーは役職をまたもや変更します。
今回は以前にC.D. Jacksonが務めていたポスト、”心理作戦調査官”になるのですが、その名前は、”冷戦対策調査官”となっていました。
この役職はニクソン大統領の直下にあり、数年のうちにヘンリー・キッシンジャーの務める”国家安全保障担当大統領補佐官”へと発展します。
ロックフェラーは新しい役職のもと、直接大統領にのみ報告を行い、対外経済政策や合衆国政府の最高政策決定機関である国家安全保障会議に出席していました。
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